SOUND OF DRUMS

あれから10年  

2004年12月12日、あれから10年。
下手くそながらスタジアムのスタンドから写真を撮り始めて10年くらい経ちまして、
思い出が記録としても残っているのですが、深く心に残る試合のひとつが
柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦の第2戦。

その前にまずは第1戦は2004年12月4日、当時まだレベルファイブスタジアムという名前じゃなく、
冷たく激しい雨が降る中行われた東平尾公園博多の森球技場での第1戦。
満員
雨
チケットは全席1000円という、画期的な試み。
20522
千代
アビスパは先制され、さらに後半増川隆洋が狙うフリーキックのチャンスからカウンターに転じられて失点、
(水溜りのぬかるみにボールがはまってカウンターされたんだよなあ。。。)
増川
アウェイゴールを2つも奪われるという重く厳しい第1戦の結果でした。0-2。
0-1
そして2004年12月12日、第2戦は敵地へ。
皆それぞれの方法で現地へ向かったと思うのですが僕はアビスパが企画したバスツアー、
福岡から千葉県の柏まで18時間位だったかな、行きがけは行程も長いお陰でじっくり希望を持ちながらの、
重苦しい雰囲気の無い車内でした。昔のアビスパの試合のビデオを見たりしながらの旅。
Mt.Fuji
柏
完売
僕は日立柏サッカー場は初めてだったのですが、とてもピッチが近くて感動したものでした。
しかしこのアウェイでも環境は厳しく、日もだんだん落ちて気温は下がり、
降り続く小雨が体温を奪っていきました。その他いろいろアウェイを感じたな。
いいスタジアム
撮ったのはまだ一眼レフじゃなかったんで画像のクオリティは低いんですが、
写真の元ファイルを拡大して見ると当時はまだ知らなかった人と今は凄く友達になってたり、
スタジアムで顔見知りになってたりと、大事な時間を共有してたんだなあと、しみじみ思います。
たくさん
いい雰囲気
ディシプリン松田浩監督、ヒゲの倉田安治コーチという名コンビ。
二人にはいつかまたアビスパに帰ってきて欲しいなと、いまだに少し思ってます。
松田監督
黄色
スタメン
この年後半は神がかり的な活躍だった有光亮太と、7月にレバノンリーグからやってきたブラジル人エジウソン。
数年後、当時の通訳エジソンさんにエジウソンのエピソードを聞いたらとても生真面目な選手だったと、
凄味のある見た目の印象とはまったく違ったものでした。ホーム川崎F戦での得点も良いゴールでしたよね。
エジウソン有光
ホベルトと米田兼一郎はこの年のJ2でも屈指のボランチコンビでした。
ホベ、現役選手は引退しましたがいまでもブラジルで元気にやっています(個人的に入手した情報)。
ホベとメタ
増川がアビスパにいたことを知らない人も多いんじゃないかと思えるその後の活躍は嬉しく誇らしかったですが、
いつかアビスパに帰ってきて欲しかった(今でも)。
増川
福嶋洋も大好きなストライカーでした。
福嶋
寒かった
レイソル強かったよなあ。メンバーは現役や元、そして後に日本代表となる選手、
あれから10年経った今でもバリバリに活躍する選手ばっかだったし。監督は早野宏史氏。
サポーターの圧も凄かった。これが世に言うアウェイというやつか、と感じたものでした。
黄色
千代とヤマ
太田
健闘空しく、第2戦も柏の宇野沢選手と波戸選手にゴールを奪われ0-2、通算0-4で結局J1昇格ならずでした。
終了のホイッスルが鳴り選手が挨拶に来たのですがサポーターが試合中からずっとエンドレスで歌い続けた
「どんなに苦しい時でも、心の中にいつもいる、ラララララー」を僕も涙しながら歌ったものでした。
このチャント、この試合後のことは悔しいながらも感動するシーンとしてずっと心に残っています。
あいさつ
くやしかった

悔しさを胸に翌年はJ1昇格を決めることができました。
失敗や悔しい思いをする事の多い僕たちアビスパファン・サポーターですが、
心に響く試合が幾つもあったのも以前のアビスパでした。

勝利して成功を掴みたいのはもちろんですが、この頃のように負けてもグッドルーザーでありたい、
アビスパはいつもドラマチックな闘いを見せてくれる、そういう存在でいつまでもあって欲しいものです。
おしまい。

category: Avispa

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